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ビルマ=ミャンマーの楽しい散歩

タナカを塗ったきょうだい


1997年8月のお散歩

本文中の太い青字をクリックすると写真が見れるよ!(メニューバーでもどってね)


ミャンマーよりビルマという言葉の響が好き。

ヤンゴン・街ウォッチング

夜ヤンゴンに到着した。
市内にはタクシーで向かったのだが、周りの風景はよく見えない。
灯りのついた看板が異国の地であることを思わせる。
ホテルの一室に落ち着いたのは10時半を過ぎていただろう。
ホテルから一歩も外に出ずに朝を迎えた。
狭いロビーで朝食を食べながら、ガラス越しに、外の景色が日本のものとは違うのを確認する。
ドアを開ける。一瞬声が出なかった。そして「おぉ〜!これがヤンゴンか!」
アジアの洗礼を受けた!と思った。なんて街だ!街が生きている、街が呼吸をしている、
鼓動が聞こえてきそうな、そんなヤンゴンだった。
初めてのアジアだったからか・・・。

あちこちとアジアを旅してきた、日本の旅人たちには、評判は良くなかった。
食べるものがない(口に合う食べ物がない、カレーばかりだとか、辛いものばかりだとか)
ヤンゴンは小インドのようだ(あたしはインドに行ってないから解らない)
コンビニがない(バンコクにはあるらしい)
交通の便が悪いとか、多分、もう来ないだろうとか。
あたしは、それがこの国のいいとこだと思ったんだけどね。
個性があっていいんじゃぁないの?って言いたい。
10階以上の高層ビルなんて10もない(もう少しあるか?)だろうが、
あと数年もしたら古くも懐かしいような建物はどんどんと取り壊され、らしさを失い、
無機質なビルが林立するに違いない。

街をうろうろするとおもしろい。
5〜6時間は歩き回ったと思う。それもリュックを背負ったままで。
ホテルのマネージャが預かるよと言ってくれたのだが、戻るのが面倒で持って出た。
このガーデンホテルは便利。
スーレーパゴダの南西の位置にありMTTの西隣の建物で、
1階がタイ航空のオフィスだ。あのマークが目を引くのでよくわかる。
そこの5階だったと思う。エアコン、シャワー(水)付き、朝食なしで7ドル。

七厘をかついだ天ぷら屋さんというのもおもしろかった。
市場の路上で売っている、お好み焼のようなものを、
かわいい女の子がハサミでチョキチョキと切ってくれた。
たこ焼のようなものもある。やや小さくて円盤型でまん丸ではない。
かき揚げ天ぷら、そのものも売られていた。野菜だったり、えびだったり。
食べ物は全体的に油っこい。
カレーも日本のものとは異なる食べ物。
からしと油と肉の混ざったものと認識しておいたほうがよい。
とろっとしたルーなどはまず、ない。

この旅でぜひ体験したいことがあった。それはドリアンを食べること。
日本では、とうてい手が出ない値段だろうと思われる。
1〜2ドルで買えるのだ。味は、だいたい想像通り。
熱帯の果物らしくもわ〜っとしつこい感じ。
うまいとは思えなかった。でも、まずくても体験したかったのだ。
パイナップルのほうがずう〜っとおいしい。
りんごも買ったが味はまぁまぁ。かなり小ぶりである。

スーレーパゴダの北すぐ西側の南北の筋は紙問屋さん通り、他の筋は電気部品、
穀物通り、ビルマ語をテンプレート(幾何定規)で作っている看板文字通りとかに
なっていて、楽しい。日本の問屋筋を思い出す。

市場も、いい。牛の頭が並んでいたり、ごちゃごちゃしているのがエネルギッシュ。
こういうのをアジア的とでもいうのか。(ほかのアジアの国をあたしは知らない)

闇両替というのもしてみたいと思い街をうろつく。
そう思って歩くとなかなか声がかからない。
スーレーパゴダの北あたりで声をかけられた。
損を承知で取り引きをする。
ビルの階段で交渉。最初一人だったのが途中から4〜5人に囲まれたときは、
やばいかなとあせった。

MTTの両替だって安心できないぞ!
1週間ほどして両替にいくと1FECs=1ドルが200チャットから185チャットになっていた。
「ノー、ノー!」と言うと200チャットで両替してくれた。なんだか怪しい感じがする。
相場なんてあって、ないようなものなのか?
ま、短期の旅行者は気に留めすぎてMTTまで疑うほどのことはないだろうが、本当にそう?
と聞き返しても言いと思う。もちろん、英語でね。
220〜230前後がこのときの相場らしいとある旅人は言っていた。
両替する人も儲けなくてはならないから、異国のルールにある程度は従ったほうが
いいのかもしれない。

ショッピングセンターの5階だったか、アップルの教室があった。
少年少女たちが講義をうけていた。ディスプレイを見なかったのが悔やまれる。
英語だったのか、ビルマ語だったのか気になる・・・。でも、きっと英語だろうね。

ええっと、痔の方はビルマ(東南アジア)の旅はつらいものになるだろう。
食事は殆どからいのだ。刺激物はよくないらしいので。
ご飯と漬物は大丈夫だったけど。
そしてトイレでお尻は水洗い、つまり、冷やすことになる。
これで悪化しない訳がない。
そして、下痢などが重なると最悪となる・・・・
(あ、あたしの事じゃないぞ! 決して!)
紙で拭くことをお薦めする。

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楽ちんビルマの旅

あたしは、ビルマの旅は、きっと大変だろうと思っていた。
が、が、が、とっても楽ちんな旅だった。
空港からヤンゴン市内のタクシーは居合わせた日本のボーイAに「一緒に行こう」
と声をかけられ安いと思われるホテルの前まで乗り付けたが
そのホテルを気に入らなかった彼は街に去って行った。
あたしは、どこでも良かったので、そこに決めた。
初日は、楽勝。
その後、マンダレーからニャンウー(バガン)のバスで一緒だった
日本のボーイBと一緒にホテルを決める。
英国で韓国のボーイとは同室に泊まった、あのパターンになりかけたが、
さすがに、それは回避できた。日本人で日本語が通じるから。
しかし、このパターンは帰国前夜のヤンゴンでもおきた。
こんな風に、行く先々で日本のボーイと知り合い、
通訳がわり(?)と言っても過言でないくらい
お世話になってしまった。8人の日本男児、いろいろありがとう!
あたしは、遊び女ではありません。
地味で、真面目な80%は普通のおんなです。
ちょっと頼りなさそうに見えるんだろうなぁ。
いつも旅先で、助けてもらっている。感謝、感謝!

若い彼等は、英語を自在に話し難無く旅をしている。
みんな謙遜して、そんなに話せないと言いつつ、楽しげに会話をしたり、
ディスカウントの交渉をしている。
そ、だよね〜、外国を一人で旅をしようとする者は、日常会話ぐらいできるんだよね。
あたし程度の英語力の者は、旅をしないのかもしれない。
度胸は、人よりあるんでふらふらと旅にでたくなる。
今回も、無事クリアしたぞ。

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深夜特急Midnight Express

エアコン付き深夜バスを利用される方、最後部座席は避けるようにしよう。
そこは、エンジンの真上で、暖房席なのだ。
時間ぎりぎりだったせいかもしれないが、外国人席になっているような気もする。
しっかり、英語で確認してね。
道はガタガタなので、何回も宙に浮くし(とっても強烈!)、
前の席のシートはリクラエニングがききすぎて?か、
その逆(こわれている)か、道にあわせて揺れ、膝にゴンゴンあたる。
あざだらけになった。
途中、故障したり、朝食をとるために停車したら、泥にタイヤをとられスリップ。全員でバスを押したりとトラブル多発。(ヤンゴン〜マンダレー LEO EXPRESS=1st
夕食、コーヒータイム、朝食が付く。値段は忘れた。)

昼間走っている安いバスは、昼の休憩時間はあるが、食事代は各々が払う。

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圧巻!!(パノラマ写真ではなく貼りあわせたので地平線が・・・)=バガンにて

バガン

バガンではレンタサイクルを利用しよう!
パゴダや寺院は点在している。サイカーもいいかもしれないが、あたしは乗り心地が良いとは思えなかった。
自由自在にあちこちと一人で行ける自転車がお薦め。100〜150チャットぐらい。
ただし、背の低いジャパニーズは大変だぞ。
日本のとは違い、サドルが高いしやや前よりにある。
雰囲気としては、米屋さんなどが使用しているのに近い。
試し乗りをして、尻を打って、ば〜んとこけた。
オーナーに「あれに乗れ」と言われたその先には補助輪の付いた
3〜4才用の子供用の自転車があった。(あたしは、151cmしかない)
親切にやや小さめのを探してきてくれたが、これも結構高かった。
4〜5回は転んで、先日のバスのリクラエニング・シートのと合わせて、
青あざが30はできた。

オールドバガンのインフォメーションMTTはがらんとしていて、
観光資料となるようなものは殆どなかった。
日本や西欧などの国のようにサービスでいろんな資料があるのに慣れすぎている自分を発見。
ここでインレー湖までのバスを予約できると思っていたが出来ないと言われ、
ニャンウーのバスターミナルまで戻ることになる。
当日の朝だと間に合わないかもしれないし、心配だったからだ。
チケット売り場で宿の名前を聞かれた。何故だろうといぶかっていたが、
話しているうちに理由が解る。朝、迎えに来てくれるのだ。
よかった〜、朝の5時なんかにテクテク歩いてバスターミナルまで行くのは、つらいものね。 この日、結果としてニャンウーとオールドバガンの間を2往復したことになる。
ちょっと暑かったが、どうってことない。
自転車を借りた人達は、一様にしんどかったと言っていたが、ふ〜ん、そうなんだ、
他の人はと思った。あたしってタフなのね。
ただし、舗装道路をはずれた道は自転車では結構きつく、コツがいる。
馬車の通った轍のあとは砂が柔らかくて車輪をとられる。真ん中か端を通ると、
地面が固くペダルも軽くこげる。
ビルマの道路というのは車が1台通る幅位しか 舗装していない。
車が来ると道を譲ることになる訳だが、端の方まで舗装されてなく、
段差があってがたがたで危なく、砂地を行くこととなる。
日差しはきついので長袖を薦める。1日焼くと、後日水膨れとなり、皮がむけるだろうから。

ホテルでタナカを塗ってもらった。ひんやりとして気持ちがいい。
日焼け止めらしく、こどもや女の人に塗っているひとが多い。
タナカとは顔や腕に塗っている黄色っぽいペイント風の塗物のことである。
広くて平らな砥石のようなものの上で 水滴を落としながら樹皮をこするとタナカが出来る。
市などで、木の束を売っているのは、タナカを作る原料としてで薪ではないようだ。

ヤンゴンからバガンまでの列車が1年ほど前に、開通したそうで、
北からニャンウー、空港、駅の順。

静かに旅をするのが好きな人は、バガンの有名なパゴダにいる沢山の物売りには閉口するだろう。
うるさいし、とてもしつこい。本当にしつこい。情緒も風情もない!
自転車をこぐよりも疲れちゃった。

ニャンウーからオールドバガンへ向け8分程歩いて着いたレストランには
日本風のチキンカレーがあった。新しい道路沿い右側。
(この道はハイウェイ風で、街灯もばっちり、ビルマで一番立派な道ではないだろうか)

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インレー湖(ニャウンシュユ)

バスでバガンからシュエニャウンに着くと、やはり客引きがいた。
その中に、日本のボーイがいた。彼は、泊まっている、
ホテルのマネジャと一緒に来ていて、日本人を泊まらせるべく、連れてこられたらしい。
あたしは、バガンからのバスで知り合った、日本人2人と一緒に、とりあえず行くことに。
もし気に入らなくて他のホテルへ行くようなら、75チャット払ってくれと言われたが、
ガソリン代の原価かな。タクシーならもっととるだろう。
シュエニャウンからニャウンシュユまで車で20分ほど。田舎の風景が続く。
車の荷台は身体的には楽ではなかったが、気持ちは良かった。
ニャウンシュユの街はずれのBillon Hotel
(街の中心と思われる交差点から5〜7分ぐらい東にある)に着く。
途中川が流れているが、夕暮れにもなると水浴びをする光景が見られる
ホットシャワー付きで3〜4ドルだったかな。
4つの部屋は、日本人でうまってしまった。
レイバン風のサングラスをかけていたマネージャだが、はずすと気のいいおじさん風になる。
サングラスをかけずに客引きをしたほうがいい様に、思えるのだが。
インレー湖巡りは別料金だったが相場通りだったと思う。(昼食付き)
他のインレー湖巡りがどうなのかは知らないが、いろいろと楽しかった。
あ、お決まりと思える、土産もの屋さんへも当然、連れて行かれた。

インレー湖で民族衣装を縫っている作業所へ行く。
マネージャの親戚にあたる家のようで、お茶を頂いたり、写真をみせてもらったりした。
シンガーミシンなんかがあって、もちろん、足踏みミシンだ。
アイロンはなかった。その代わりにおもしろいもので折り目を付けていた。
ろうをこすりつけて木で叩くのだ。こすりつけては、コンコン、の繰り返し。
アイロンは高いだろうし、電気代もいるからだろう。生活の知恵だなと思った。
縫製の技術は、良くなかった。日本で出回っている製品と比較して、である。
でも、300チャットで上着を買った。200円もしない値段だ。
そこで、昼食をいただく。

湖の上の トイレ は一瞬、出ない。下には、水草が浮き魚が泳いでいるのだ。
日本以外の国ではトイレ事情が違うので神経質な人は、苦労するだろう。
中国はもっと大変らしい。あたしは、人と一緒にはしたくない!
ので中国にはきっと行かないとおもう。(今のところ)

インレー湖には、足で舟をこぐ部族がいる。
正面きって写真を撮るのは、不躾で気がひけ、後ろ姿しか撮っていない。
器用に、バランスをとってこいでいた。
手で漕ぐより、脚力のほうが強いから利にかなっているかもしれない。
彼等は、増えすぎた藻を刈ったり、湖底の泥をすくったりしていた。
泥は、浮島にのせ、乾燥させ畑にするのだ。
インレー湖の島は浮島で(全てかどうかはわからない)、
畑の畦道の途中がぬかるんでいると引き返さなくてはならない。
大変だがその代わり、農作物に水をやる必要はないのだ。何十センチか下は湖だからね。
湖面に何やら浮いている。あ〜、こんなところにまでも、ペットボトルや空缶がと思って、
よ〜く見ると、瓜のようなものだったり赤いトマトだったりしてほっとした。
そう言えば、トマトをいっぱい積んだボートを見たし、畑でも栽培されていた。
湖面の浮草が、きれいだった。

インレー湖といえば、そう、ジャンピング・キャットを見なきゃぁね。
よく、慣らされていた。僧が合図をすると、沢山の猫が集まり、輪くぐりをする。
飛んでいる猫の背の模様もジャンピングキャット柄に見えちゃうのもおもしろい。
あたしは、猫が大好きでご機嫌だった。
お茶と、豆を戴いて、休憩。お布施もちゃんとしたよ。
小学校の授業を見学させてもらった。
緑色のスカート、ズボン、ロンジーが制服のようだ。
板張りに机。床に座ってのお勉強。子供たちの表情はなんだか懐かしい気がした。
掲揚台の上にはサッカーボールが置かれている。
日本とアメリカ以外では野球より、ボール1つで遊べるサッカーの方に人気がある。

このあたりは、川や湖のあるせいか、蚊がけっこういた。
持参した、蚊取り線香は役にたった。マラリヤにはなりたくないものね。
というより、あのブゥ〜ンという羽音は辛抱ならんのだ!

首長族の人を見かける。
日本人の知り合いがカメラを向けると、怒ってお金をくれと言った。500チャット。
彼女らは、どこかのホテルに雇われているらしく只では撮らせないようだった。
日本の物価からいえば安いかもしれないが、それは現地の物価でいえばベラボーな値段。
断わった。

水上マーケットはあいにく見られなかったが、町でが開かれていて見て回る。
豆腐そのものも売っていた。
観光客はあたしぐらいで、地元の人の生活感のあふれる市で楽しい。
食べ物屋で身振り手振りで、辛いたれ付きの麺を買いホテルで食べる。
旅人のある人は宿で味噌汁が出たと話していた。
インレーでは何故か、カレーがなかった。
日本に帰ってから、写真をプリントして送る。無事配達されたかどうかはわからない。
授業中の写真は、写っている人数分を焼き増ししたけど、着いてないだろうなぁ。

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あれぇ、この曲聴いたことあるよ!

バス、タクシーでの移動中、散歩の途中の道などで、聴き覚えのある曲が流れていた。
もちろん全てミャンマー人のミャンマー語の歌詞である。
数回聴いたのは「サマー・ワイン」、確かフランク・シナトラが歌っていた様に思う。
チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」。
タクシーの若いドライバーがかけたテープにはいっていた。
彼は、元が日本の曲とは知らないだろう。
彼も英語が話せないらしく、 あたしも片言での説明もできなかった。
森山良子 の「禁じられた恋」。
夕暮れのインレー湖、船着場を散歩中に聞こえてきて歌詞が浮かんだが
すぐには思い出せなかった。だって、ふる〜い曲だもん。

そんな曲を聴きながら、著作権料なんかきっと払っていないだろうなぁと、
しょうもないことを考えるあたしだった。

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旅のトラブル

今回の旅のトラブルというのは、ほとんどない!

ある朝のこと。
あたしは日頃は化粧をしない。
しかし、暑い日差しの中を移動となるとどうしても欠かせないのが、日焼け止めクリームだ。
小さい容器に入れ替えて持参した。顔に塗る。す〜っとクリームが伸びなんだか塗りやすい。
「?」とは思ったが、構わず塗る。「あれ〜、こんないい匂いしたっけ?」
2、3秒動きが止まる。「!!!、やっだ〜、シャンプーやわ!」

日本に帰ったある日のこと。
歯を磨く。ハミガキ特有のす〜っとした感覚を通り過ぎなんだかひりひりする。
ハミガキのチューブを見る。それは、それでなくて、洗顔クリームのチューブだった。
人は、そんな間違いをするかと思われるだろうが、本当なのだ。
あたしは日頃は化粧をしないし、洗顔クリームも使わないのだが、
ふと買ってしまって一緒に置いてあったのが悪かった。
普段し慣れないことはしないことだと、つくづく思うあたしだった。
寝ぼけていたのでないよ。

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