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* ベトナム旅日記・1 *


2000.11.17〜12.4

2000.11.17

ラオスからベトナムのイミグレーションまで200メートルぐらいだ。
小さな橋を渡ると急勾配の坂道があり、上りきると前方に建物が見える。
迷いようがない。
山あいの国境は2時間ほど前から雨が降り始め、4時前だというのにあたりは 薄暗かった。
ここには旅人が求めるものが何にもないのだ。
家が3軒ほどあったが乗り物をどうにかできるとか、売店とかなんにもない。
かろうじて怪しいバイタクと乗り合いタクシーが2〜3台いただけ。
それに乗らなければ野宿しかない。躊躇してると誰もいなくなりそうだった。
それはいくら何でもまずいと思った。くっそ〜と思いつつ乗り合いタクシーで 20$でビンに向かう。
タクシーの兄ちゃんはすごく嬉しそうだった。
バイタクのおっちゃんは30$とか25$とか言っていたので、 まだましかと自分に言い聞かす。
だって、雨降って寒い上、パックを背負ってバイクの後ろにまたがるなんて 辛すぎる。
仮に10$とか5$とかで安かったとしても、あの道のりの事を考えるとタクシーは いい選択だった。
2時間は掛かったように思う。ビンのホテルの前でおろして貰う。
この街の情報は全くなかったが泊まるところを確保できたのは嬉しかった。
宿代は12$したが、ま、いいか。
荷物を置き、とりあえず腹ごしらえ。フォー、うん、うまい。
すぐ、斜め向かいに綺麗なスーパーがあった。
市場調査というか価格調査に出掛ける。 値段をメモしているとベトナム人が珍しそうにあたしを見る。
乳酸飲料のドラミちゃん、いやドレミちゃんを買う。
ちょっと散歩して、もっと安いなホテルはないかとを探す。
メインストリート(3キロほどありそう)と思われる 道路沿いに何軒かあったが12$前後が多く 安い宿は探せなかった。
たしかラオス・ホテルとかいうのがあったみたいだけど 建物がりっぱですごく高そうだった。探せば5$前後の宿はありそうなんだけどね。
どうせ2日ぐらいだからいいやと思う。

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2000.11.18

朝、テレビをつけると、クリントン大統領が映っていた。なんか変だ。
ここはベトナム。
なぜ?おまけに彼のバックの風景はアジアだったのだ。
ニュースに流すくらいだから訪問しているのかもしれない。
ベトナムのテレビで流す映画はほとんどがアナウンサー1人の棒読みだ。
もちろん男女両方を1人で読む。変だ!はいりこめない。
なんか気分が悪くなりそうだった。

ビンの市場はなかなかエキサイティングだった。
魚も、お馴染みの鯵や鰹なんかがあってうまそうである。
街の人々は人なつっこい人が多かったが、子供たちには不思議な人種に 映ったようだ。
これも、観光地と普通の地方都市との違いがはっきりしていた。
さすがに商売人は愛想がいい。あたしはタレントにでもなった気分だった。
「はぁい!」「ハロー!」と手を振りながら散歩する。

バス・ターミナルはメインストリート(3キロ)の中程にあった。池の向かい側。
これならハノイへ行くにも便利だ。ホテルから10分も歩けば着く。
とりあえず、時刻・価格表をチェックする。
ベトナム人価格とツーリスト価格があるようだ。
しかし、翌日、チケットを買ったときは、やすい方だった。

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2000.11.19

朝早くバス・ターミナルまで歩いてきたが、どうもそれは必要ないようにも思えた。
なぜならバスは、あたしの泊まったホテルあたり一帯を1周半ほど 客拾いをして回ったのだ。それも30分ほど掛けて。
ただ言葉が分からないのでやむを得なかったとも言える。
ただ、料金を把握しておかなければぼったくられても分からないので、 バス・ターミナルには一度足を運んでおいた方が賢明かもしれない。
昼休憩、レストランで食事をする。異国の乗客はあたし一人。
なんとなく周りが気遣っていてくれてるのが分かった。
ご飯は赤いプラスチックの容器(洗面器大)に8分目はいっている。
いくらなんでも豚でもあるまいし喰えるわけがない。
全部喰えと言うつもりではないようだ。
いくつかの街を通り過ぎて、あと1時間ぐらいでハノイかと目を外にやると、 川に沿うように古びた家並みがあった。おお、絵になる風景!(ニンヴィン)
しかし道はぼこぼこで写真は撮れない。覚えておこう、そして来ようと。
しかし、ベトナムではそれはありふれた風景だったのだ。
来たばかりのあたしは、そんなことは分からない。
1ヶ月ちょっとのベトナム旅行だったがこの国の風景にどれだけ心が和んだことか。V 水田、水郷、棚田、奇岩、海、水上の家々。
街を一歩離れると素晴らしい風景がそこかしこにあった。
大きな街はどこも同じような印象で良くも悪くもない。

バスはほぼ予定通りにハノイに到着(バス・ターミナルはハノイの南)。
しかし、うん、これからだ!バイタクと値段の交渉が始まる。
「20キロある」と言われたがあたしは標識をみていたので「7〜8キロだ」 と言い返す。で3万D。高いか安いかは、相変わらず分からない。
20分ほど走り、ホアンキエム湖の北側で下りる。
ここまで来れば、もうこっちのもんだ!
宿は山ほどあるだろうと思ったし、実際あった。
Bao Long Hotel、ドミ2.5$、シングル4$。
ウナギの寝床のような部屋だった。お世辞にも良い部屋とは言い難かったが、 なんとなくここで何泊かした。安いのが良かったのかもしれない。

ここを基点にハロン・カットバ、サパ・バックハーのツアーに参加。

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2000.11.20

ベトコム・バンクは地図よりずっと南だった。
西洋のオペラ座みたいな建物の200メートル位南。
バンコク・バンク(発行証明書が必要)のすぐ南にはない。
あたしは結構むかついた。あたしの探し方がわるいのか・・・
住所は書いてくれたが、地図と連動してないし(番地はないので) 建物の表記もいまいち分かりづらかったので聞き回る。
100ドルのT/CWを2枚両替しようとしたら拒否された。
英語がわからないので何とも言えないが500$以上でないとダメ?みたいだった。
疲れていたので、いすに座り休憩しつつ、両替の予定を再検討。(おおげさやなぁ)
水を飲んだりして、のんびりしてたら、係員が「マダム****」と声を掛けてきて、 両替が出来るから、どうぞみたいなことを言う。よくわからないが、 とりあえず両替はクリア。手数料は取られず、よかった〜!

ロイニョク(水上人形劇)を鑑賞。扇子付、前の席は40,000VD。
(もらった扇子はずうっと持って旅していたがカルカッタのパラゴンで捨てる)
なんだか愉快、おかしい!でもうまく操作してるよな・・・
日本の絡繰り人形もすごいんだろうな。

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2000.11.21

ハロン湾・カットバのツアーに出発。26$。
7:15分と聞いていたが参加者がそろうまで待って9:00出発。
久しぶりの海だ。いいなあ・・・・
ライトアップされた鍾乳洞も神秘的でよかった。
海上で暮らす人々の舟も見受けられる。
カットバ島の坂道の途中の宿にチェックイン。
おぉ!驚きだ!事もあろうにドアが上3分の2が磨りガラスなのだ。
鉄格子などなく一枚ガラス。ベランダのドアもそう。これは信じられない。
それだけ安全な島なのだろう。
こんなホテル世界中探したってないかもしれない。

洗面所の水は、飲んだわけではないが、しょっぱかった。
ベトナム人は発想がいいみたいだ。物干しラックはなかなか工夫されているし、 蚊帳ボックスなんかもおもしろい。これは、ベトナムだけなのか?

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2000.11.22

カットバ島にあるベトナム戦争の時の病院として使われていた洞窟は、 戦争の悲惨さを教えてくれた。
カットバ島のトレッキングは、足腰を鍛えたい人にはいいだろうが、 トレッキングの合間に風景を楽しみたいと思う人にはお勧めできない。
殆ど、山の森林の中をを上ったり下ったりで、見晴らしの良い所なんてなかったからだ。
でも、休憩所のおやじさんのタトーがいかしてたぞ!

1泊2日で十分な気がしたハロン湾・カットバ、ツアー。

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2000.12.23

島々を縫うようにボートは航行。
デッキで旅人達は思い思いに過ごしている。物売りの小さいボートが超スピードで接近、 売り込みを始めたりして、あー、商売商売と感心。
帰りのバスは土産物売りセンターに寄る。ここでも日本語の達者な売り子が攻めてくる。
絵はがきを買う。4000VDしたように思う。
フエ(フンボン通り)が1番安く一枚2500VDの店があった。ハノイへ。

Bao Long Hotel. 3日前のシングルは先客がいた。2.5$のドミにチェック・イン。
一階の水をあげる?ためのモーターがうるさい。

明日はサパ・バックハー3泊4日に参加する。31$。(食事なし)

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2000.12.24

ミニバスは15人(内6人日本人)の旅人を乗せサパへ。
夏ならもっと美しいと思われる棚田の山を走る。
真っ暗になって宿に着く。ガイドがレストランに案内してくれるがどうも高いようだ。
窓ガラスにはモン族の土産物売りの女たちがへばりついて中を覗き込んでいる。
あたしは一人旅。アメリカの女性ナンシーと相部屋に。
ベトナムを旅行するアメリカ人って勇気いるような気がする。

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2000.11.25

午前中のサパ・トレッキングはお散歩程度のものだった。
なかなかのどかで昔の日本の風景を思いださせてくれる。
昼、ガイドの連れていくレストランは高いとクレームがつく。
殆どが違うところに行ってしまう。

サパの流行なのかラミネート加工した100×150センチの
ポスターがホテル・レストランに貼られていた。

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2000.11.26

バックハーへ
サパもバックハーも掛け布団は細長い縦折に畳んであった。
ホテルはきれいだ。

ここの市場は民族衣装を身につけた花モン族で賑わっていて、 サパより活気がある様に思った。相当怪しげなアイス・キャンデーを買って食べる。
冷たくて気持ちがいい。お値段200VD。それは危ないと言われ心配したが異常なし。
ベトナムで最小単価のお買い物だった。2円弱

昼から近くの村へトレッキング。良い運動だ。途中結婚式が2つあった。
素朴で質素な村の暮らしや風景に我々は異端である。
この村では幼い子の写真は撮ってはいけない。気を付けよう 夕食はベジタブル・スープとベジタブル・フライド・ライスを注文。
ここでは、キャベツの事をベジタブルと表現するようで、(まさかぁ!) キャベツだけのスープとキャベツだけの入った焼きめしが出てきた。
なんだか淋しかったが、まぁまぁうまかったのでマル!
後で行ったネパールのベジタブル・ライスはグリーン・ピースだけだったので そんなのがアジアなのかなとも思う。ネパールのはまずかったが・・・

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2000.11.27

バスは高度をどんどん下げながら帰路につく。
この時かかった音楽は「コンドルは飛んでいく」薄く靄のかかった山あいの風景を 眺めながら聞くにははまりすぎ。
ハノイには予定通りに帰着。
Bao Long H.は飽きていたので違うホテルへ泊まろうと思う。
カメリア・ホテルへ誘われるままについて行く。
トイレ・シャワーなしのシングル 4$ぐらいだった。
トイレは1階まで下りなければならない。ここは6階だ。
考えるといっぺんに疲れ、泊まらないことにする。
幸いパスポートも渡してなかったし宿代もまだだったので気に入らないと言って出る。
で、Bao Long H.のシングルへ。(ツィンか)?
ハノイ〜サイゴンまでのツーリストバス・オープンチケットを購入。24$。
明日、ニンビンへ出発。

パスポート事件

3泊4日〔金土日月)サパ・バックハーのツアーには日本人女性3人組とOL2人がいた。
青年ガイドのズンはOLの背の高い女性の方に声をかけた。「名前は?」「クミ」
あら、あたしと一緒だ、子があるないだけで・・・・
ズンはクミが気に入ってるように思えた。

3日目の朝はバックハーに向けて出発する。しかし彼女たちは、夜また戻ってくると 思っていたらしく小さなバッグで乗り込もうとしていた。
「荷物は?今日はバックハーへ移動だから、荷物は全部持って行かないと」
「知らなかった」「急がないと」2人はあわてて部屋に戻り荷造りをして、 バスに飛び乗った。間に合った、というか少々遅れても待ってはくれたのだが。
バスは3時間ほどで、バックハーに着いた。

村のホテルに着く前から道路は民族衣装で着飾った花モン族で溢れかえっていた。
エキサイティングな光景だった。とりあえずチェックインである。
クミがロビーに入ると、先に入っていたズンが振り返り2人に言った。
「君たち、パスポートをホテルに忘れて来ただろう」
「えーっ?!」2人は絶句した。朝、慌ててホテルを出たからそんな事には 気づかなかったのだ。いや、はなから自分でパスポートを管理するという 感覚はなかったようだ。日本の添乗員付の旅行しかしたことがなかったのかもしれない。
個人旅行で現地ツアーは始めてだったのだろう。
他の旅人は皆フロントのカウンターに置いてあったのをピック・アップし携帯していた。
クミは気が動転していた。「どうしよう」ズンは笑いながら答えた。
「今夜8時到着のバスで届くよ」2人はちょっとおかしいと思った。
忘れたのを知っているのも、なんだか愉快そうに笑っているのも結論として、 パスポートは持ってきたがちょっと意地悪を言っているのだと。

ズンがいない間にフロントの女に訊くことにした。
「ねぇ、このツアーのパスポート見せて」
女は引き出しから預かったパスポートを取り出した。
「きっとあるわよ」「そうね」
「・・・ない!ないわ!」本当になかったのである。
「じゃ、彼は、知ってて置いてきたの?」2人は信じられないと言う顔をした。
どっちにしても、今は市場を楽しんじゃおうという事になり出掛ける。
女同士の連れというのは、1人になるのが不安なのかその仲間で連れ立って歩く。
あたしには不思議。地元の人が込み合ってる屋台にだって1人なら割り込みやすいのに。

あたしは夕食を食べホテルに戻った。8時20分を過ぎている。
ロビーには支配人とホテルの男がいたが、ズンの姿は見えない。
「パスポートの件は片づいたのか・・・」
と思っていたらクミたち2人が階段を下りて来た。
「あれ、ミスター・ズンは?」
「え、パスポートまだ貰ってないの?」
「うん、まだ。もういい時間かなと思って下りてきた」
ホテルの男にズンを呼んできてもらう。
「パスポートください」と言うクミに
「ない」とズンは答えた。
「なぜ?8時には貰えるんじゃなかったの?」
「君たち、いま何時何分?」「「8時25分」
「だから、パスポートはない、バスに乗せたままだ。バスは行った」
「えーっ!」
そんなこと冷静に考えれば分かることだ。あたしは面白くなった、と思った。

お灸を据えるにはちょっと度が過ぎているかなとは思うが、 2人は2度も注意を怠ったのである。
余りにも、日本人ツアー客すぎた。この旅はそういう旅ではない!
当の2人を除いて、野次馬だった。支配人、ホテルの男、ズン、ホテルの女、あたし。
そして後から参加した女の子3人組。支配人は奥からフルーツ、人参酒、女はお茶。
梨を剥いては薦め、パパイヤ、そして焼酎が回ってきた。
あたしはもう10数年アルコールは口にしていなかったが見物料代わりに一気のみ!きく〜!
数時間やりとりが繰り返され2人には悪いが座は大いに盛り上がったのである。

女がクミに囁く、ズンにこう言えと。
「**********、ホーチョー、パスポート」 (ホーチョーはパスポートのベトナム語)
日本人は皆、「パスポートを返してください。お願いします」
と言うベトナム語と思った。
クミは真似て真剣に言う。
「**********、ホーチョー、パスポート」
3人の男たちは一瞬しんとしたがすぐに、沈黙は笑い声に変わった。
支配人は手をたたいて笑っていると言うより喜んでいるように見えた。
「本当に?」「イエース、プリーズ!」そう言って
「**********、ホーチョー、パスポート」を何回も繰り返す。
その度に男たちは盛り上がった。
「君、意味分かっているのかい?」
ズンは言葉を続けた「****、ステイ***********」
今度はそれを聞いた日本人女性たちの息が一瞬止まり、
大きな悲鳴のような歓声になった。
「ひど〜い!」とクミはふくれた。
彼は英語でステイと言ったが(あたしはステイしか聞き取れなかった)
ベトナム語ではもっとストレートな表現だったかもしれない。
「あなたとやります。だからパスポートをください」とか・・・
潮時と彼は思ったのだろう。2人に条件を出した。
明日の朝英語でこう言えばパスポートを渡してやるとクミのベトナム語会話集の余白に書いた。
「I'll never forget my passport.I'll never***********」
(パスポートを決して忘れません。決して、時間には遅れません)
最後の朝、クミは英語で暗誦しパスポートを受け取った。
彼が5時に着くと言った通り、バスは暮れ始めたハノイの街に到着した。

彼の4日の恋は終わった。そして、この週末には次の4日間の恋が始まる・・・・
なんちゃって・・・実話です。楽しませてもらっちゃった!

靴磨きの少年

ホアンキエム湖の北側のベンチで一休み。
少年2人が声をかけてきた。靴磨きの少年だった。
名前を聞くと「ホンダ」と答えもう1人を「アジノモト」と紹介してくれた。
はっはー、よくできてるじゃないか日本人にしか分からない名前だ。
翌日も、彼らを見かけた。白人と一緒にいたので、靴をみがいていたのか・・・
あたしは声をかけた。
「アジノモト〜!ホンダ〜!」
彼らはあたしを見ると子犬のように、ころがってきた。
何かを特別に話したわけではない。
2こと3こと言葉を交わし分かれたが、この時自分が革靴を履いていないとゆうことが悔やまれた。
履いていたら、ホンダに磨いてもらえたのに・・・

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2000.11.28

ニンビンへのバスは朝7時と思っていたら夜の7時だった。あっちゃ〜!

ホーチミン廟へ。や〜ん11.7〜12月の中頃まで閉鎖なんて・・・せっかく来たのに・・・。
公園の鳩小屋がおもしろい〜。この辺り中国人観光客が多かった。

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2000.11.29

ニン・ビン、Star Hotel=5$。
ハノイから2時間も掛からなかったと思う。
ここはツーリスト・バスを利用する旅人の定宿のようだ。
安い部屋を希望すると最上階へ案内される。
屋上へ増築の部屋だった。なんだか楽しい雰囲気だし、見晴らしもいい。
なにより、トイレがおもしろい。
屋上と階段の間にはドアがあるのだが、それはトイレのドアでもあるのだ。
つまりトイレのドアを閉めると階段へのドアが開き、 階段のドアを閉めるとトイレは丸見えなのである。嬉しくなってしまう。
ただ、増築の部屋は四方がガラスなのでしっかりカーテンを閉めておかないと 覗かれる可能性があり用心悪い。

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2000.11.30

簡単な地図をもらい、散歩に出掛ける。
とりあえず市場、である。
途中、囚われの身のツキノワグマの親子を発見。
別々の檻に入れられているのだが 共々だらしなく仰向けに寝ころんでいた。
ツキノワグマって日本だけに生息していると思っていたので びっくり、一つ賢くなった。〔追記:どうもマレーグマという熊のようだ)
ここでも、日本人は珍しいらしく注目の的だった。
市場の屋台で食事をする。ご飯と3品で3000VD。
30円もしないがベトナム人の普通の値段だろう。他の所はもっと高かった。
そして市場の公衆トイレ。胸ほどの3方囲いだけのトイレは200VDで、 水が流せる便器付でドア付のトイレは500VDと言われた。
いつものことながら、トイレに金を払うという習慣のないあたしにとっては、 「くっそ〜」の世界である。

近くにタムコックという陸のハロンといわれる水郷がある。
緑鮮やかな季節に訪れれば、もっと感動できるだろう、今は11月、残念である。
青い宝石、カワセミがいた。この地も中国の観光客が結構多く驚いた。

2日目の夜に何か気になって外を見ると男がいた。
その時は、窓を開けてうたた寝していて目が覚めた時だった。
ホテルにこのことを言うと、ルーム・チェンジ!
ホットシャワー、冷蔵庫やクーラー、テレビまで付いた部屋に連れていかれる。
シャンデリアがきらきらして綺麗。
なんと!後日訪れたインドのカルカッタ、サダル・ストリートのブルー・スカイ・レストランのシャンデリアと同じもので、懐かしい思いがした。

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2000.12.1

公園へ散歩。
そばに、高校がある。悪ガキ3人組が声を掛けてきた。
そのうちの一人がたばこを吸い始める。
「吸っていいの?」と訊くと首を振り、すぐに消した。うん!可愛い!
筆談でわいわいとおしゃべり。
ベトナムでも英語の授業がある。プリントをもらう。
授業が始まるのだろう、奴らは1時前になるとあっという間に去っていった。
この街の子供たちは、人なつこく、お茶目な子が多い。(中高生) 自転車であたしを追い越していく少年達は、たいがいちょっかい出してくる。
あたしが追いかけてあげると奇声を上げて喜びながら逃げていく。

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2000.12.2

チェックアウトする。出発は夜9時過ぎ。
ボートが良かったので、あたしはバイタクでも一帯をぐる〜っと一回りすることに。
2時間半ほど掛けて2万5000VD。
苔のはえたれんがの家々、小川にかかる小さい橋、水田で泳ぐアヒル。
う〜ん、ちょっと英国のコッツウォルズみたいでもあった。
牧歌的な風景の中をバイクで駆け抜けるのは爽快。
自転車でのんびりと弁当でも持ってサイクリングすると良さそうな水郷地帯である。
あたしがヴィンからハノイへ向かう途中で見かけたのはこの街ニンヴィンだった。
この街で下りたのもそれは偶然ではなく、予想的中のあたしの判断だった。

フエ行きのバスは殆ど満席。白人の間に埋もれるように小さいあたしは座った。
車の席のネジがゆるんでいるらしく一晩中ギシギシと鳴り続けた。
あたしは音に弱い。気になって眠れない。

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2000.12.3

フエに着いたのは夕方だった。
まだ日暮れてはいないがしとしとと雨が降り始めている。
自分がどの位置にいるのかさっぱりわからない。こんな時に便利なのは・・・・
今日はコンパスではなく客引きだ。
連れて行ってもらう。Vong Canh H.=4$
扇風機をまわすと、なんや〜、煙がでてきた〜。くっさ〜!
ショートしたみたい。むろん替えてもらう。

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2000.12.4

フエ2日目。
DMZツアー、15$。「非武装地帯」この言葉は耳に残る。
ラオスへの国境に近いところまで行く。
この道がラオスのサワンナケートからの旅人を運ぶ道か・・・
そう悪くはないように思う。
12:10分昼休憩、12時50分までらしい。お粥を食べてドンハの市場をうろうろ。
早い目に戻ってくると何故か皆バスに乗っていた。
白人の青年は言った。「キミ、15分と50分を聞き間違えただろう」
そう、あたしは50分と聞いたがガイドは15分といったようだ。
ああぁぁああ、またやってしまった〜!「アイム・ソリー」

海岸の近くにあるビンモック・トンネルはすごかった。
よくもあれほどのトンネルを掘ったものだ。
その時ベトナムの人々は、絶望の日々の繰り返しだったのか。

あたしの部屋はロビーの真上。
戻るとコンセントにプラグではなく電気のコードを差し込んである。
1階の天井の隙間からテレビのコードをあたしの部屋に通して差し込んだのだ。
ちょっと不愉快。明日、他のホテルに移ろう。

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