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* ラオス旅日記 *


2000.11.8〜11.17

「訂正とお詫び」

「鼻炎ちゃん」とこの日記にあれば、畏れ多くもそれはラオスの首都ビエンチャン、
のことなので先にお詫びを申し上げておきます。

2000.11.8

この国境で、1週間ほど前に茶花賓館で同室だったカトリーヌと再会。
彼女はムアンシン、あたしはムアンサイヘ。
ローカルのバスではなく中国のツアー客がチャーターした小型のバスのよう。
中国人が殆どだった。背もたれのカバーに万達(中国)と書いてあった。
昆明から民族村に行く私設のバス会社だ。
昆明で乗ったのだが倍した。18,000Kというのは高い!
しかし、他には乗り物が見つからなかったので、やむを得ない。

道はミャンマー程度か。
風景はあっという間に変わった。
日本人の感覚でいえば粗末で貧しい暮らしに見える。
カメラが向けられない。しかし、幸せの度合いは比べようがない。

休憩、トイレに500K払う。

左隣にラオスの青年。彼が揚げパンの様なモノと味が梨と大根の間のような果菜 (子供の拳大で薄い茶色の皮があり剥くと中は梨のよう)をくれた。
会話集で「ありがとう」を指すと彼はすぐその下を指した。
「どういたしまして」だった。

バス・ターミナルで定食を買う。おかず3品とご飯5000K。
なんだか仕入れていた情報と比べると高いように思える。
しかし、後日、物価が相当上がっているのに気づく。
レートがよくなった分、比例して上がっていると判断。

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2000.11.9

朝は、結構冷える。長袖をはおる。
バス・ターミナルへ急ぐ。
ルアン・パバン行きはあるかと探していたら、なんとビエンチャン行きがあるではないか!
あたしは1年に一度、11月の満月の夜にあるタット・ルアンの祭に間に合いたいのだ。
ルアン・プラバンに留まると間に合わなくなるおそれがあったので、 直行のビエンチャン行きに飛び乗った。54,000K。
ずいぶんともったいない乱暴なラオス訪問になってしまっている。
8時間と言ったので、ずいぶんと早いと感心した。
だってルアン・パバンまで5時間なのに。
夕方になって、18時間を聞き間違えたと気づく。ばかたれ〜!(あたしが、です)
で、ビエンチャンに辿り着いたのは真夜中11時30分。真っ暗だ。
ラオスの人々は次々と散らばっていく。
ここは多分西側のバス・ターミナル、あとは方角をコンパスで確認すれば宿は探せるはず。
不安な思いで潰れそうになりながら宿を目指す。
1軒目は満室、2軒目は高かったがチェックイン。
0時を過ぎていた。
暗くなっての到着はこりごりだが、何より危険を伴うので避けたい。
あの角から強盗がでてきたら、こっちへ逃げよう、物陰のあるところからは 離れてあるこうなどと心配ばかり。

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2000.11.10

次の宿へ移る。ミーサイ(Mixai)ゲストハウス。4$。
明るい、廊下の延長のベランダがある。壁は薄いが居心地は満点!
共用だがホットシャワーも思いっきり使えるし、明るく清潔。螺旋階段なので、目が回った。
1階のリビングではインターネットが出来る。ポットもあるが電源の入れ忘れがある。

タット・ルアンの祭は数日行われる。
昨夜は花火が上がったとか。
夜、てくてく歩いて行く。遠い。3キロはあるみたい。
タイから来ている子もいた。
屋台がたくさん出ていて楽しそう。
これって、天神祭みたい。何でもありだ。
日本の移動図書館がそのままラオスでも移動図書館として利用されていた。うれし〜!
帰りも歩き、さすがに疲れた。
おまけに排ガスをしこたま吸い込んでしまって、喉がいがらい。
痰がからみまくり4、5日直らなかった。他にもゲホゴホいっている旅人がいた。

アヌ・サワリーに上る、1000K、階段約180段。
「センキップ」と日本語でいきなり言われたが一瞬分からなかった。
ここは見晴らしがいい。屋上ではネオン飾りを付けている真っ最中だった。

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2000.11.11

早朝タット・ルアンの祭へ。熱心な信者が集まって祈りを捧げ、供物を奉納するのだ。
広場はすでにいっぱいだった。祭のクライマックスだ。観光客も多い。
普段はこの広場は閑散としているらしい。
何万という信者で埋め尽くされた光景は、宗教に無関心なあたしには驚きだった。

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2000.11.12

喉がおかしい。フーばかり喰っている。
何もする気が起こらない。しんどいのか・・・

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2000.11.13

ベトナム・ビザの申請にいく。55$。やはり苦手だ。
英語が分からないから時間が掛かってしまう。
大使館の中庭の芝生では気のよさそうなドーベルマンが朝寝?を楽しんでいる。
夜は怖い番犬に変身するんだろうねぇ?
ガイド本の地図の大使館の場所が違っていた。
これはすぐ近所で分かり易いので、ま、いいかぁ。

昼から、ワット・シンクァンへ。
タラート・サオの東にあるバス・ターミナルからタドゥア行きに乗る。
広場の南東角に泊まるバス。13番だったかなぁ、ちょっと自信ない。
案内板があるから確認できるし、そんなに広くないのですぐ分かる。
1000K。途中友好橋に寄っていく。そして間もなく右手らしい。
バスには白人も乗っていた。英語を話せるラオスの青年はしきりに白人に話しかけている。
ちょっとイヤな予感がした。白人はタイへ行くらしく友好橋で下りた。
そして、案の定青年はあたしに話しかけてきた。およしになって〜、それはまずいのだ。
でも言葉が話せない。
注意をしていないとワット・シンクァンが分からなくなるからだ。
日本語が少し話せる青年は嬉しそうに自慢げにノートを広げた。
もう、諦めるしかない。奴は目的地に着いたらしくさっさと下りていった。
う〜ん、乗り過ごしたようだ、どうもさっきの停留所がそうみたいだ。
どうしようかと思っていたらラオスの乗客が
「何処へ行くの?」みたいなことを言った、多分。
「ワット・シンクァン」と答えるといきなり大きな声で何か叫んだ。
バスは止まった。「あ、ありがとう!」
あたしはこうして無事ワット・シンクァンに辿り着く。1000K。

ここは楽しかった。派手ではないが異様で奇抜なオブジェがおもしろい。
芸術性も高いのではないかと思う。それを評価する人がいないだけなんだろう。
これは遺跡ではなくアートなのだ。むろん遊園地でもないぞ。
ゆっくり見ても1時間ぐらいか。
お弁当もって、シートもって、本持って、出掛けると良いかも。
メコンからの風が心地よい・・・・

帰り道、トラックの正面衝突の現場を通過。よくあることか?

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2000.11.14

ミルクを買う。やはり甘い。
冷たい水を飲みたいと思ったあたしは一気に飲んで氷が溶けるのをひたすら待つ。
しかし、それは叶わなかった。なぜなら、子供達が4〜5人寄ってきて「くれ」と言ったからだ。
あっちゃ〜!きっと彼らにしたら飲み終わって、氷だけの袋なんて要らないと思ったのだろう。
あたしは冷たい水を飲みたかったが、それを拒否する勇気はなく(大袈裟や!)
あげてしまう。ちょっと、いろんな意味で悲しかった。

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2000.11.15

今日は、違う市場へ。タラート・トーン・カンカム。
雑貨、衣類、野菜、魚、肉類、米、花、果物が整然とならべられていた。
中太のバナナ14本2400K。35円くらい。
帰り道、ゲーセンを発見。わー、古そー!あっ、あれはガンダムだ!

土埃だらけの靴を洗う、おお、美しい。

メコン川の近くでごろごろしてたら、ひえ〜、散水車だ。慌てて、退散。
ここでも日本語を勉強しているという青年が話しかけて来た。
日本人に対して好感を持っているのか・・・・

荷造りをしようとパックを開けてびっくり、
蟻さんが巣作りを始めていた。なんてこった〜。
ここは蟻が多いのだ。

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2000.11.16

ビザをもらいに行く。 同じ宿ばかりでは芸がないと思い宿替えをする。

Phanthavong G.H.
窓がなく暗いし汚かったし5$もした。あ、でも水シャワー付。
ここでも蟻の行列にまいる。
夜中、白人がうるさかった。

17日の早朝に出発。ツクツクで行こうかと思いの料金をきくと20,000Kと言われる。
むろん断る。歩くわな〜、2キロぐらい!

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2000.11.17

ビエンチャンからラクサオ行き

ラクサオ方面行きは早朝4:00、5:00、6:00の3本。
あたしは5:00発のバスだ。35,000K。
バスはタラート・サオとバスステーションの間の道路に止まっていた。
食料の事が心配で買い込んでいたが無用、売り子やら屋台が出ていたりで十分に事足りる。
お粥があったので食べる。お、おいし〜!
薄暗い街をバスは予定より5分ほど早く出発、国境をめざす。
が、前のラオス女性がバスは苦手なのか窓をずっと開けっ放しで寒かった。
途中から左折、道が狭い坂道になる。あのまま真っ直ぐだったら、サワンナケートだ。
熱帯の背の高い木が目に付く。
そして、奇岩が!山の頂上当たりはなかなかと見応えのある景観だ。
これは、あとで石林やハロンなどと同じものだと分かる。
しかし、この時のあたしは大感激!こっちのルートを選んで正解。
なぜこんな素晴らしいところが紹介されていないのかとさえ思った。

あたしはツクツクに法外な料金を払うことを「ツクツクホーシ」ということにした。

1台に10人乗ったら1人1$と言う。
4人ほど乗ったツクツクに安く乗ろうとすると5ドルと言われる。
なんでやねん!むかつくなぁ。
他のツクツクに気持ちよー1人で乗った方がええわ!
あたしは国境に両替所がないかも知れないと思い紙切れになるならと
ドライバーの言い値で乗ってみることにする。50000K。
あとから来る旅人ごめんなさい。
だって同じような旅人いないんだもん。

ラクサオから国境までは1時間ちょっとぐらいのはずなのだが、
乗ったツクツクが5〜6回故障しずいぶんと時間をロスしてしまう。
おまけに雨が降り始め、めちゃめちゃ寒い!車は日本製の中古のようだ。
成田山やら日本のシールが貼られていた。

イミグレは山あいにひっそりとあった。あたしのような旅人はいなかった。
そうだ、トイレをと思ったが、鍵が掛かっている。両替の人に訊く。
どうやら閉鎖されているようだ。
「どこでするの?」
「アナザー」
返事がかえってきた。なんてこったい!
「マウンテンOK?」とジェスチャーすると一瞬怪訝そうな顔をし、
そしてケラケラ笑いながら
「イエース、OK!」
困ったね〜、どこでしようか、せっぱ詰まる前に済ませたい!
あたりを見渡す。あぁあそこしかないか・・・
ラオスとベトナムの国境には橋がありそれを渡ればベトナムだ。
橋の手前の急な崖を下りる。道からは見えないぐらいの所が良かろう。
ふむ、ここで正解だ。先人たちの落とし物がいくつかあった。
雨は降ってるし、パックは背負ったままだし、 足下は急でバランスがとりにくかった。
ラオスの物はラオスに落として、橋を渡る。
坂道を上るとベトナムのイミグレが目に入ってきた。

この日記を打ち込みながら、あたしは気づいた。
急な下りの崖で用を足すときは体の向きを工夫すべきだったと。
小さい方は崖を背に、大きい方は体を崖に向ければ良かった。
あ、もしかしてこれを読んでくれている人はきっと頭の中でシュミレーション してるんじゃないかい?ふふっ・・・
今度からは、そうしようっと!

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