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*My Angkor*

アンコール遺跡、こぼれ話:3

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過去・こぼれ話-- [2]-- [1]--

2007年10月7日(日)

10月1日早朝、アッと言う間に、戻ってきた。
今回も、くたくた。
一番の失敗は、帰国便の時間だった。BKK22時発のチケットを買ったということ。
早朝に大阪に着きたかったのが災いというか、失敗。
この便だとシェムリから飛行機を使うとなると、昼過ぎの便じゃないとまずい。
夕方REP19時40分の便だと時間通りでBKK20時40分。
30〜60分遅れは天候等によって、あり得る。綱渡り過ぎる。
PHN発でもどうやら同じ状況になる。
で、BKKからの往路はPHNまで飛行機。復路はBKKまで陸路に。
最終日にPreah Net Preahを見て、ポイペト・アランヤ通過、モチットマイまでバス。
アランヤを14時くらいに出れば5時間かかったとしても19時。
モチットマイから新空港まで渋滞していたとして1時間、20時には着くと読んだ。

6号線は、ドロドロで、カンボジアで一番悪い道ではないかとさえ思った。
6〜7年前の道も凸凹でひどかったけど。

バスは13時40分発、4時間で着くと言われたが、そんなうまい具合にはいくもんか!
日が落ち暗くなってもバンコクには着かない、だんだんあせる。おまけに10分過ぎても100m程しか進んでいなかったりする。ドンムアン空港の標識はあったが、なかなか到達しない。
7時を過ぎてもバスは高速を走っている。ぐるぐると廻りながら。
間に合わないかも!心臓はバクバク!
途中で下りてTax拾おうかとも思ったが、辛抱した。自分の想像外の所に下りて、 うまくTaxが拾えないのは怖い。
ドンムアンで下りようかと思っていたら、通過したのであせったが、ほどなくモチットマイ。
19時13分着、5時間半ほどかかった。間に合う!
タ、タクシーは?乗り場を探すと、そこには50人ほどの待ち人が!
乗り場の人はタクシーはない、中も外も、みたいなことを言った。
「え?!外は走っているだろ?」
再び心臓はバクバク!
あかん、あかん、あかん・・・!!!
入ってくるバスの間をすり抜け、通りへ出る。
いた!19時30分タクシーに乗り込み新空港20時丁度着・・・。
ま、間にあった〜・・・というか、1時間くらい前でも大丈夫なんだろうけどね。
とりあえず2時間前にはたどり着けた。
・・・疲れた・・・。
もしかしたら、カンボジアのバイク移動より疲れたかもしれない。
トイレで帰国用の服に着替える。

ロレイの前の屋台でボックロホンを食べておけば良かった。


1日目
新スワンナプミ空港、広い。ちょっと勘違いすると数百メートルか、1キロ以上歩いてしまう。
PHN行きの飛行機はガラ空きで20人ぐらいしか乗っていなかった。
天候、晴れ!眼下にカンボジアの大地を眺めつつ、プノンペン入り。
トイレで、捨ててもいいボロ・ズボンに着替える。
地図屋へ直行。必要箇所をチェックしたNo.入りの地図を渡して探してもらっている間に博物館へ。
狙いの彫像の首は、どれも該当なし。
廻っている内に、なんか変だと思った。いくらか彫像が見あたらないのがある。
スララウのリンテルもなかった。修復している?かとも思ったが、とどめは「横たわるヴィシュヌ」
で、訊くとドイツの展示会に出展中・・・。何てこったい!
中庭に荷造りしている写真発見。ううむ、これでも撮っておくか。
いかに大きいか解る写真だ。
売店にネットで見覚えのある本があった。
Sdok Kaku Thomの碑文の本。15ドル。
厚さ2.5cm、旅の始まりに買うモンじゃぁないと思うが、もちろん買う。
あまり面白味のなさそうな女性像の本も買う。10ドル。
地味な像が殆どだけれど、次にはないかもしれないので。
アンコールの本を見て、後でもわりと簡単に買えそうな本と、買えない本は、解る。
紙質、印刷方法(紙版、刷版)、出版元などで、なんとなく。
重さはあわせて2.5kgぐらいか・・・。
地図屋に戻り、Pトラック・タクシー乗り場へ。

Thanot Chum
とりあえずBarayまで。Barayでバイタクに乗り換え、Thanot Chumへ。
国道からの入り道、間違えたみたいだが、まぁいい。
手前の道は冠水していた。ちゃんと靴を脱ぎ、膝まで浸かりながら進む。
そして、小川。これもどうって事はない。前方にレンガの祠堂が!!!
おおおぉ!!見たかったよ!!!!これが!!!
でかい!!塔に彫られた彫像としては最大?!
正面の像は木々の葉に隠れ見えなかった。
帰りの道は、濡れていた。6号線一帯はスコールがあったようだ。

Phum Prasat
国道からすぐにあった。
新しい寺のテラスの端が食い込んでいる。
なかなかいいレンガ祠堂。
祠堂内にAndetのハリハラ像の小型みたいな彫像が奉られていた。
暗くなり始め雨も降りだした。
Thang Krassang北のKuk Viengに行きたかったが、この日は断念。
しかし、あれだけの近さだと無理してでも行けた距離かな。
まぁ、何処にあるか解ったから言えるわけで、その時はゆとりもなかった。
バイタクは軟弱で、しきりに帰りたがっていた。
国道で、車をヒッチ。Kg.Tまで3000Rで。
市場は工事中。高そうな食堂へ。
以前泊まった宿は満室、で隣の宿へ、3ドル。


2日目
Kuk Vieng
早朝、目指す。後戻りというのは情けない。
言葉がきちんと話せていれば、昨日中に済んでいたかも。
でも、それはそれでいい。旅してる気分になれる。
宿に戻りチェック・アウト。
工事中の市場の片隅に麺屋さんあり。ちょっと甘めは仕方ないか?
とりあえず Stoungまで。(途中、2遺跡寄る)

Prasat Andet
見覚えのある川の西詰めを左折。ちょっといって右折してすぐ左の寺の境内。
なんだって〜?!ここ、1月に来たとこ!真っ暗で大雨だたので解らなかった。
タクシーのドライバーが違うと言って、ずうっと先まで行った。
先の遺跡もこれとよく似たロケーション。
右奥に僧房、左側の石段が上がるとレンガ祠堂・・・、そっくりだった。
リンテルには崩落防止の木枠ががっちりと組まれていてがっかり。
しかし、そうしないと危ない。
レンガ祠堂自体が、妙に傾いていて、ある日突然、崩落するだろう。
その前に見られて良かった。

Ampil Rolum
国道沿いのSpeang krongの北東4km位?
普通に到着。お目当ての地置きのリンテル数本は、見あたらなかった。
盗まれたのか保管されたのか、不明。
気にはなっていたけれど・・・。
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StoungからKdeiへ
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Kdeiでオンパウ飲んで、Dam Deakへ。
(途中、1遺跡寄る)

Thnal Dach
もしかしたら、通行不可かもしれないと心配していたが、晴天で問題なしだった。
ま、雨が降ったらどろどろだろうけど。
T.Runのそばを通って行くのかと思っていたが違っていた。

拓けた所にあるのは意外だった。
見所いっぱい!で、とても興味深い遺跡。
3つの祠堂が通路で繋がっている。通路には窓もある。
周壁もあったが、回廊のようで間口も数カ所あるし、これにも窓がある。
それも「円柱の連子」ではなく「角柱の連子」!初めて見た!
砂岩なら普通のことかもしれないが、レンガで回廊なんて、凄い!!!
ここが、砂岩の回廊の「源」????!!!
小振りの遺跡というのも、いい。
3祠堂・向かいに2経蔵、という感じか(経蔵の1つは倒壊?)

この辺の遺跡はこういう個性的な遺跡が多いのかしら?
Dam Deak到着。
とりあえず、ご飯!
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Dam Deakからシェムリまで。
(途中、1遺跡寄る)

Wat Prasat
Banteay Ampil行って、Wat Prasatのつもりでいたが、
誰もBanteay Ampilを知らない。Banteay とくればスレイとしか返事は帰ってこない。
Wat Prasatを知っているという村人がいたので、そちらの方から行くことに。
昔ながらの赤土の道。村の男は正確な場所を知らず、頂上付近にいた工事現場の男に案内してもらう。
どっひゃー!!!「こんな所、よく探したわね、わんわんZさん!!!」
見終わった時間は、4時前。
本日は、これまで。Banteay Ampilは明日!

シェムリへ向かう途中、雨が降り出す。
バイタクは、勝手に左折しどこかの宿へ行こうとした。余計なことするんじゃないよ。
5時過ぎモロへ。へろへろだった。
K.Tから5人バイタクを乗り継いで(後戻り含む)、やっとシェムリ。
モロのご飯はおいしい。プサチャの食堂のご飯はまずいし、おかずが値上がりしていた。
半分売りもしてくれないし利用する価値はない。

いろいろ迷った。
タ・ソムはやめようと。しかし、奥の部屋の静けさは代え難い。
他の宿でもいいのだがうるさいのはいや!なのだ。
で、タ・ソム。増築するらしく工事中だった。


3日目
早朝、バンテアイ・スレイへ。
前も撮ったが、またいろいろ撮りまくる。

ロレイ
ここのところ、行ってなかったので行く。
撮りまくる。
ボックロホンの屋台があった。でも、時間ない!

訪問順を間違えた。
それと、バイタク、あたしとそれぞれが道を勘違いし、1時間半ほど時間のロス。

Banteay Ampil<表紙の雨の遺跡>
この時期、西からは増水のため通行不可。北東から行く。
雨期の賜というか、遺跡然としてすばらしかった。
静かで風格あって、なかなかいい。


あたしはバイタクで。
ヘリコプターは、小綺麗な白人カップルとガイド、パイロットを乗せて降りてきた。
はじめは地雷の爆発事故でヘリが飛んでいると思ったが、遺跡に来たお金持ちの白人でした。
あたしは「えっ?!」と思ったが、向こうの方がきっと驚いただろう。
客には、ヘリでないと行けないとか言ったんだろうなぁ。
当然、村人はやって来る(笑

帰り道、遠回りで、戻ってきたら5時。
アプサラのライブラリーには行けずじまい。土日は休館。

モロでトムヤムクン・スープ、唐揚げ、ご飯、紅茶。
ご飯はお代わりする。
プサチャで季節外れのマンゴスチン1kg、3000Rで。
3分の1はだめだったけど。


4日目
ワット、、バケン、トム、Snguot、Phnom Dai-1、予定。
Phnom Dai-1は、忠告通りだった。
後日、叱られちゃった・・・。

Phnom Dai-1
場所は持っているリストと地図とグーグルで見当はついていた。
Svay Checkのほぼ東4-5km。Dai-1の西1kmには Khpopo。
Dai-1はサンパウやスララウへの道から北上した所にある。
水量があるのは解っていた。南からはダメと言われていたが行く。
どんなふうなのか見たかったから。
次、東から行くがダメだった。風景は、もう最高!
じゃぁ、言っていた西からとも思った。
子ども達が遺跡のぐるりは水がいっぱいと言う。どうもだめらしい。
時間があれば、トライしたのだが、時間切れ。

宿に戻り、シャワーを浴び荷造り。チェック・アウト。
ボスにタクシーを呼んでもらう。
一路シソフォンへ。
途中パンク。ミニ・ライトが役立つ。
道は広くはなっていたが、どろどろ、ぼこぼこ。

GH数軒廻ってもらう。
新しいGHにチェックイン。
TV、冷蔵庫、エアコン、ホットシャワー、申し分なし!
街の食堂へ。白粥があった!!う、嬉しい!ラーメン鉢ほどの容器にイッパイ!
干物と漬け物で大満足。

5日目
Preah Net Preah
早朝、Preah Net Preahめざす。ちょっと後戻り。
客は4人程だったが、時間がないと言うと、Pトラックは出発した。
乗り合わせた女の人が知っているというので、案内してもらう。バイタクと3ケツ。
3km位なのであっというまに到着。
怪しげな象の彫刻・・・。
側柱などもあったが、やはり「ヘビで縁取られた井戸」だろう。
それも高い岩に直彫り!
こわくてこわくて、どきどきした。
上れない!とも思ったが、当然上る。
眺めは最高!!!締めくくりとしては、大満足!

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宿に戻り、荷造りチェックアウト。
アランヤへ向かう。想像以上の悪路になっていた。
正午過ぎくらいには国境通過。
バスターミナルの食堂で麺を食す。
BKKまで170B弱。
以前BKKから乗ったバスは210BくらいでVIPバス?だったのか?
おやつと水がついていた。

ちょっとひやひやした旅だった。


いつもはチケットはHISでおまかせ購入するのだが、今回はすべて個人購入。
チケット以外の税などの料金が高い気がしたからだ。
関空からバンコクまでのチケット(諸費用込み)も安く買えたし、
バンコクからプノンペンまでの片道も多分安かったと思う。
バーツ高はバカにならない。買った時と今では1300円ほど違う。

しかし、それにしても移動費は高い!
近くても500Rでは、もう乗れないし1000Rでも嫌がる。
いまじゃ1500Rも払って、乗っている。
ガソリンは倍近く(1.7倍ほどか)上がっているせいもあるのだけれど。

帰国して思うこと。クメール語を勉強しようと・・・。
せめて、読めるようになりたい。
看板文字を読みたい。英語で言う大文字に当たる文字を。
少し勉強したが、挫折。聞き取れない。
覚えているのは書き順ぐらい。
クニョムはかける。クメールはちょっと似ているが忘れた。
アンコールも殆ど忘れた。
まぁ、それより英語だろ?という気もするが。
長期滞在するわけでもないので、いいかとも思うが出来れば読みたい。
遺跡の名前をちゃんと読みたい。
遺跡を巡る者として、それぐらいは読みたいのだ。


2007年8月20日(日)

サンタックの東辺りと、アンデット近辺、ルンの北、ヴィボールの東、
定番、西バライ近辺、ネット・プリヤ辺り。
2007年6月6日(水)

次の旅がいつになるかわからない。
超ビンボー人なので、そうそう行けないのだ。
この1年は3回だけど、日数は15日・・・、少なすぎ。
今年はもうダメで来年になるのか・・・?

次の予定
Thnot Chum 。
ということは、PPから?になるか・・・。
また怒涛の如き日々になるのか?
旅の全荷物を持って遺跡巡りはやだ!!!!
5日間ずっと移動しながらなんてやだ!!!
で、あんまり欲張らないことにする。
若くないので、へとへとになる。
旅の最中は気が入っているから耐えられるが、
帰国しても数日、疲れがとれない。


2007年5月20日(日)旅日記

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2007.5.11 金
8時45分と思っていたら36分だったようで、梅田行きのバスが目の前を通過。
後のバスでも充分間に合うのだがTaxで行くことにする。
ドライバーがしゃべってうざい。深夜便は前回より空いていた。
3席独り占めで横になれた。というのもチェックインの時、
団体の横はいやだといったので空けといてくれた。
帰りも2席分で横になれた。これって重要。とりあえず言うのだ。

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2007.5.12 土
便は早朝5時10分、新空港に到着。
空港からアランヤに行くバスは朝8時と、午後2時くらいらしい。
モチットマイからはもっともっと便があるのにと迷った。
空港北の所で待っていれば2便の他にもあるかもしれないが、ないかもしれない。
うう、8時まで待つのは時間がもったいない。
賭けでモチットマイへTaxで向かうことにする。道は空いていた。
25分で着く。高速を下りたところで15分過ぎていて、目の前にある
数百メートル先のモチットマイに10分かかる渋滞。
5時56分チケット購入。出発は6時。グッド・タイミングだ。
このバスが空港北のバス停に寄れば無駄になったかもしれないが、寄らなかった。
10時過ぎ、アランヤに到着。

Sdok Kak Thom
遺跡修復中。地置きした砂岩。
僅かに残るレリーフ。
こちらは管理が届いてると思われるので状況は
数年前とそんなに変わっていないように思える。
交通手段:バイタクで。
この遺跡を知らないバイタクがいた。
何で行こうが雨期も乾期も問題なし。
道路左右の水田は濁流、渦巻状態。
タイの水田の風景はとても美しい。
多分この遺跡はカンボジアの領内にあっていいはずだ。
力関係でタイに取られてしまったって感じがする。(近代の歴史事情は知らないが)
往きに普通のスコール。帰りに後5分待ってくれればいいというあたりで土砂降り・・・!
なにもかもびしょ濡れ。
これからの旅を暗示するような雨だった。
街の男は何とか自分の管轄の乗り物に乗せたがる。
乗合Tax乗り場は冠水してそこから脱出すべく濡れた土の上に一歩踏み出したら、
ずぶずぶと20センチほどめり込んだ・・・。もう!
こんなとこで、たらたらしてられん!速く出発できる乗り物を探す。
でPickUpT。前回は夜だったなぁ。夕方明るい内にBBに入れた。
ホントはもっと早く着いてPo Vealに行きたかったんだが。ま、いい。
市場でマンゴスチンを1kg買う。うま〜っ!

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Wat Po Veal (2007.5.13 日)
僧にきくが一人には逃げられた。 「僧侶が鍵をかけている写真」を見ていたので諦めずに、
数人にきき開けてもらう。日本語を話す僧侶がいたので助かった。
もちろん、お布施もした。
前回のリベンジ(笑)見たいものは絶対見る!
このあとPickUpT乗り場へ。どうも集まりが悪いので乗合Tax物色。
2シート分払ってPonleyへ。
Pursatの円柱だけ?残っている遺跡も気になったが切り捨て(涙)
しかしこの円柱は時代が下るものかも知れないと自分に言いきかす。

Ponleyでバイタク物色。
あたしは純朴な若いバイタクがいい。その理由はボリ度が低いから。
この時はドルなんか使ったことのないような子だった。可愛いし。(おい!)
Kompong Preah往復(10,000R)とKpg Chhnang迄、全部で30,000R。
嬉しそうにしてたのが、あたしは嬉しかった。

Kompong Preah
遺跡、普通にあった。
レリーフ、よかったー!!!あれこれ考えてしまう。
Ponleyから北に向かう道は問題なし。本格的な雨期になれば多少泥道?
右折して河原のような砂道に下りるがその入口に水たまり。
2-3m位なのでバイクでつっこめる。
途中ちょっと泥道があったが数十メートルなので問題なし。
本格的な雨期だと冠水しそう。
どうやら雨期にはボートで渡るらしい。
近くにある遺跡Kanyyour=6-03というか寺というか、村人にきくと知らないと。
ばかやろう!

Kpg Chhnangからボートで川向かいKpg Leangへ渡る。
Kpg Thomから南下すれば行けるはずと思ってはいたが、
雨期なので不安。で、こちらから。(6号線には看板があった気がする)
旅の気分も味わいたかったし、違う乗り物にも乗りたかった。
土道ではあるが、まだそんなにドロドロではない。
ま、しっかり背中は赤土だらけ。
村の女の人が、木の葉をバイクのシートの後ろに付けてくれた。(喜)
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Pr.So Khla
写真にだまされた〜!(笑)
コンクリートの手すり付き階段でしたね。
でもこんな風に後世に増築・修復されていった遺跡はたくさんありそう。
道路からすぐなので訪問には差し支えないと思う。田圃は水あり。
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Preah Srei
とても立派な遺跡。
やや縦長の空中宮殿って、遠くからだとデヴァタ?というか人を想像させる。
私的には、デヴァタのもとはそれと思っている。(飛びすぎ!)
周辺は雨期乾期はあまり影響はない。
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Toch=
Preah Srei近く。
レンガの基礎しか残っていないのにリンテルだけが異様。
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Phnom Ponnareay(行ってない)
道がひどいし徒歩で2時間かかると言われた。
ことば話せないので詳しくはわからない。
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Kpg Chhnangに戻り、乗合TaxでPP目指す。午後8時前到着。
キャピトルすぐ東向かいの食堂は閉店していた。お粥をたべたかったのに・・・。
で、近くの中華料理屋へ行くが、なんとか公司になっていた。ショック!
「ツーリストを乗せたTaxは30キロを越えてはならない」という決まりでもあるのか
めちゃくちゃとろい!以前もそんなことあって時間とられた・・・。

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2007.5.14 月
早朝、Batheayを目指す。
カンボジアのバイタクは何故「トイレが近い」のか?!(後の数人もそうだった)
2回も行くなよ!ち●こ触ったその手でパック触るなよ!
本当はBatheayでPhnom Tropを知っているバイタクに乗り換えるつもりだった。
しつこくどこへ行くんだときくので仕方なく遺跡名を告げる。
知らないくせに行こうとする。ま、行ったんだけど。
あたしは、どんどんバイタクを変えたいのだ。
地元で知っている人のバイクに乗った方が無駄がないから。
Batheayから北上。国道から1m外れるとどろどろ。町中だっていうのに。
(Ph’avからでも行ける?)
カンボジアの普通にある泥道と快適な道とが混ざりあいながら遺跡へ。
西へ左折。正面にそれらしき山。左右にユーカリの木?が立っているのでいい感じ。
山の麓到着。のぼれと言われたが「ちょっと違うだろう」
村人にきき、少し西に回り込むと急な坂道があり、バイクで頂上まで乗りつける。
以前は20分ほど歩きで上った人もいるようだ。
遺跡は朝の光を受けきれいだった。
頂上からの眺めもよし!田圃の風景も申し分なし。

乗合バスでKpg Thomへ。市場で昼食。乗合Taxはなかなか人が集まらない。
4時前、4シートを3人で割り勘で乗ろうということに。ひたすら北上。
暗くなるとやはりスピードは落ちた。殆ど真っ暗。ぽつりぽつりと明かりが見える。
T.Meancheyに着いたのは8時過ぎ。雨も降っているし食堂らしきものも見えない。

非常食?ですます。Kpg Thomで買っておくべきだったか。
宿は5ドルにしては良かった。

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2007.5.15 火
朝、通りに出てうろうろする。市場の前にいた男子に声かける。
クーレンまで5ドル。ガソリンを入れているとき店の女の人と何か話している。
「クーレンまでだよ」「よかったじゃない」嬉しそうな男子。これ想像。
丁度1時間、快適。地図で知っていた山が左にそびえている。
山が終わった向こうにクーレン村。
村の食堂?でボクロホンをつくっているのを見つけた。う、た、食べる〜〜!!
村人はKhna Sen Kevのこと知らないようだ。以前買った地図のコピーを見せる。
所々クメール語が入っているのでなんとなく理解してくれたよう。
さ、行くぞ!

クーレンの村の東を南下。
途中の村で案内の少年と3ケツ。
最初の橋、往きに橋はあったが、帰りに一部、外されていた。 帰路の橋、右写真
5m程川を歩く。他の橋はOK。
道はどろどろのぼこぼこ(喜!)冠水した田圃を結構歩く。
うまくあぜ道を通ればそう濡れないかも。
ま、膝下くらい濡れる覚悟はいる。丸太の橋をわたる。
遺跡案内の少年が迷ってしまい、森の中をあっちこっち。
遺跡は近くにあっても息を潜めているので見つけにくい。
これで見つからなかったらどうしようかと思った。
砂岩が転がっていたので近くだと解り、やっと到達。

Khna Sen Kev
「瓦礫の山」状態。
バプーオン様式を想像させてくれる人物像はなかった。
某サイトの写真で見たレリーフもなかった。
欠けたリンテルが少々。新しい 盗掘跡というのはわかりにくく、
相当以前に盗掘されたという感じがした。
古い書籍で見た破風、リンテル、デヴァタは、数十年に盗掘にあってしまったんだろう。
帰り道、砂岩を敷いてある道に出る。参道、列柱もあり規模的にはそこそこ大きい。
頭部のないシンハ一体あり。
もう一個北側に遺跡があると思うけれど断念。きっと無理・・・。
目印はPhnom Pilだが、森の中では20m先の遺跡も気づかない。
7時半に村を出て12時近くかかった。
雨期でも橋さえあれば、長時間歩くのと濡れるのを覚悟すれば行けるかも。
普通はいかないか。

クーレンには電気きてないのか電線見なかった。

次はSvay Lauまでだが、若いバイタクに遠いと言われた。ふん、根性なし!
で、Sra Young?まで。
(実は全然知らない名前だったが、某サイトで教えて貰っていたので言ってみた)
途中大雨・・・。
Sra YoungからSvay Lauまで乗り継ぐ。
バイタクがここからどこへ行くと訊くがおしまいと答える。
三叉路の食堂でごはん。ここで肉を売っているのだが、バイタクは買っていた。
以前コーケーへ行ったときのタケオのバイタクもここで肉1kg買っていたっけ。
昨日のクーレンのバイタクも帰る途中肉を買っていた
「ああ、きっと今夜はごちそうなんだ」とちょっと嬉しい。

Svay Leu北西の直彫クーレン遺跡
たむろしている村の男達に声をかけ、
クーレンの直彫り遺跡のプリントを見せる。
ほっほ〜!クーレンの山道っていつ来ても楽し〜!
ほとんど「マゾ状態」だ。
直彫りの彫刻って宗教色が強いというか異様な雰囲気がする。
ガネーシャ、面白い!
なんとなく他にもありそうだった。
メインの彫刻から20m位離れて、神を乗せたガルーダ有り。
遺跡の往復とダムデック村まで10ドル。

ダムデック村の市場の民家でトイレを借りる。
ドロドロの足下だったので洗って入って、と。
マンゴスチンを買う。1kg1ドル。BBでは3000Rだったけど、こんなもんか。
で、Kpg Kdeiへ。一軒目フル。2軒目ボロボロ!でもま、いい。
食堂の味はまぁまぁよかった。
実は、Tropeang Run の遺跡の位置がよく解らないままKdeiに来たのだ。
失敗は成功のもと。
そのおかげで古い石橋の今の状況がわかった。

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Trapeang Run(2007.5.16. 水)
周辺は思ったより拓けていた。北側は耕したばかりの広い田。
雑草もそんなになかった。(主観の違いはあるかも)
しみじみと、アンコール遺跡の深さを知った遺跡。
払子?(ほっす)が印象的。
蚊などの虫を追い払うための「はたき」の様なもの。法具。
ロリュオス遺跡やアンコール三山のデヴァターが手にしている。
(アンコール・ワットにも同様のデヴァタがいる)

6号線ダムデック村東11キロの標識あたりの幹線を北に。
途中で自動車は通れない小さな土手道へと右折し(東?へ)、
突き当たった幹線を再び北へ。川数本。
うち一つの橋が水に浸かりかけていて、渡れなくなるのは数日中か。
(最初の幹線は逆戻り、水で通行不可)
遺跡は道路のすぐそばなので、探す苦労はなし!
これの20m位西にレンガの瓦礫ありした。遺跡とはいえないくらいのが。

石橋:
S.Praptosから西の橋。4〜5年前道路工事が盛んにすすんでいたので、
ストゥンからシェムリまで、バイタクを乗り継ぎ見てまわる。
その時は、埋もれて未来永劫見られなくなると、あせった。
新しい6号線は南側に迂回し、古い橋はちゃーんとあった!

S.Praptosの200mくらい南に新しい橋ができていた。
去年の9月、夜タクシーを飛ばしたとき、通過した記憶がなく
不思議に思っていたので納得。
ただ、気になることが・・・。
家でもそうだが、人が住まなくなると一気に荒廃するので、
橋も心配だ。
新しい橋との距離が近すぎると水が溜まって石橋の足下の土を不必要に
流して、ちょっと危ない気がする。

橋を見ながらシェムリへ。
おなかが空いていたので昼ごはん。
モロッポーで、パスタとスープとコーヒー。
いつもの宿へ。僅かの時間だがチェック・イン。
ボスやNo.2の家族はどこか泳ぎに出かけたらしい。
残念!おしゃまなミアモちゃんに会いたかったのに。
やる気のない若いバイタク達がいた。
以前とはすっかり変わってしまってサービス精神がない!
ハガキを出して遺跡へ向かう。
2〜3時間のために20ドルのチケット・・・!ううう

Kutisvara
レンガ塔とリンテル。
いかにも古いという説はあるようだけれど、そうは思わない。(素人のこわさ)
これは近くだし、クデイの北東角の店の人にきけばすぐわかる。
クデイの周壁北東角より20m西に、北に入る小道があり。
正面に高い木が見え、それをめざす。周辺は切り拓かれている。
数年前だと雑木でわかりにくかったと思う。
道路から直進すれば100mもないかも。
雑木林をくぐらなくても行けるが、それは行った者しかわからないって事。

Prasat Suor Prat
これがちょっとよくわからない遺跡。12世紀末ぐらいといわれているが・・・。
12世紀中頃のようにも思える。
某本で貧弱なデヴァタを見たので探したが解らなかった。

Bayon
2階の祠堂のデヴァタを撮る。

宿に戻る。わずか5時間ちょっとのシェムリ。
怒涛のごとき5日間だった。
その間、乾いた靴を履くことはなかった(とほほ
シャツは洗っても色が落ちない・・・。

最近の旅は古いTシャツやら下着、ソックスを持ってきて、捨てるようにしている。
洗濯の手間が省けていいのだ。
それにしても今回は旅の荷物をずっと持って遺跡めぐりなのでなんだか疲れた。
体力ないし・・・。
帰国後2日目くらい、しんどかった。いまもちょっとしんどい・・・。
ぜいたくだな。

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